
2021年9月26日に妻は息を引き取った。
あれからちょうど一年の月日が流れた。
そう、今日は妻の命日だ。
闘病記を書いている最中ではあるが、先週末の記録を残しておきたい。
記事間における時系列のズレより、その時の思いを優先しようと判断した。
2022年9月23日
この日は午前中から妻の一周忌法要を執り行った。
時世や個々人の都合もあり、家族内で少人数での開催となった。
苦手な早起きをして集合時間の30分以上前には最寄り駅に到着した。
珍しく忘れ物はしなかった。
妻が褒めてくれたような気がした。
朝ごはんを食べてから家を出たが、低血糖気味でフラフラしていたのでしていたので2回目の朝食をローソンで済ませた。
かっちりした服を着るとこの現象になりやすい気がしている。
喪服を着ることにも慣れてしまったなと独りごちる。
結婚当時、喪服を持ち合わせておらず、結婚してすぐのタイミングで予定されていた妻の親戚の法要に合わせて作った。
妻に薦められていった宮益坂のAOKI。
今はもう閉店したようだ。
その喪服を2回目に着たのは妻の葬式だった。
皮肉な現実だけど、現実は現実。
ただの事実。
そのことに対しては深く考える必要はない。
待合室で親戚と合流する。
当たり前だが、それぞれの時間が流れてきたことを実感する。
顔を合わせることで安堵と共に各人が今までどうやってこの一年を過ごしてきたかということに無意識下で引っ張られる。
胸がいっぱいになる。
天気予報が外れて雨が降らずに済んだ。
暑くもなく、ちょうどいい天気だ。
妻のイベントごとがあるときは不思議なくらい雨が降らない。
妻は晴れ女だ。
そんな談笑をし、急な階段を上って法要の会場に移動する。
馴染みのお坊さんが担当だった。
初めてここに来たときにお経を上げてくれたお坊さん。
妻と「お経、クセがあって面白いね。」なんて話をしたことを不意に思い出す。
法要が始まる。
日常では隠れてしまっていた、否、蓋をしていた思い出たちが鮮明に脳を駆け巡る。
たくさんの思い出の引き出しがランダムに開けられていく。
しかし、そのほとんどは闘病末期のくるしい姿だった。
蓋をしていた思い出たち。
普段は向き合えない思い出が、ここぞとばかりになだれ込む。
苦しい中、本気で病気と闘っていたことを思い出す。
その姿が浮かび涙が止まらなくなった。
やれることはお互いやりきった。
それでもやはり苦しみに引っ張られる思い出もある。
今は100%受け入れることはできないけど、少しずつ無理のない範囲で長い時間をかけて受け入れていく。
焼香時の手順もぐちゃぐちゃだ。
あっぷあっぷだったけど、それでいいと思った。
法要が結びに差し掛かる。
お坊さんからのありがたい言葉にもう一波。感情が揺れる。
涙を流しきって会場をあとにする。
お寺の近くの家の窓際では置物のような猫が佇んでいた。
「動いた動いた。」と笑いあうその瞬間が少し幸せだった。
お墓の前で手を合わせる。
みんなで来たよ。
今日はお花が一段と充実してるよ。
また来月来るね。
いつもありがとう。
手短に手を合わせて、食事会場へ移動した。
その時に食べた蕎麦はとても美味しかった。
ここの蕎麦屋の話をすると長くなるので割愛。
そう、いい思い出もたくさんあるんだ。
妻の家族と「また明後日。」と挨拶し帰宅した。
2022年9月25日
妻の通っていたクラシックギター教室の方々が追悼演奏会を開いてくれることになった。
つくづく妻の人徳に感心する。
会場は新大久保駅から少し歩いたところだった。
早めに着いたので新大久保らしいお店でランチを取ろうと思っていたが、人混みと街の雰囲気に酔ってしまった。
結局新大久保らしいランチは諦め、いつでも食べられる駅前のフレッシュネスバーガーに駆け込んだ。
マッシュルームの入った期間限定メニューをいそいそと食べた。
ナビに沿って道を進んでいく。
会場の名前を覚えていなかったが、着いた場所は妻がかつて演奏したことがある場所だった。
ここだったのか。
あの日も暑かったはずだ。
受付で感謝の気持ちと共に手土産を渡す。
すると厚みのあるパンフレットを渡された。
「これは絶対泣くやつ。」
受け取った時点でそう確信した。
妻の親友も駆け付けてくれた。
妻が以前ここで演奏したときも一緒に聞いたような。
ひとつひとつの思い出がひらかれて、また別の思い出へリンクしていく。
会場後方で妻の父・母・姉と合流。
開演までは受付でもらったパンフレットを見て過ごす。
合流時点で3人が泣いていた理由はやはりこのパンフレットだった。
妻との思い出、思い出に沿った写真。
今日演奏する曲目。
妻とその曲にまつわる思い出。
数十枚にわたって濃厚な想いが書き寄せられていた。
永久保存版のそのパンフレットを滲ませないように気を付けながら演奏を聴いた。
思えば、クラシックギターの音色を聴くこと自体が久し振りだった。
生前は仕事が終わるとよくギターケースを開けて、取り組んでいる曲を毎日のように練習していた。
日に日になめらかになっていくあの演奏を、思い出す。
今思えばあの練習風景はとても贅沢な時間だった。
ソロ、デュオ、アンサンブル。
様々なかたちで妻との思い出の曲たちが奏でられていく。
妻は大学生時代からこの教室に通っていたので、ギター教室のひとのほとんどが私より妻との付き合いが長い。
学生時代から知っていてくれている。
同じ趣味を持つ仲間であり、家族に似た雰囲気も感じていた。
スペインへ演奏をしに行ったときの思い出。
合宿をしたときの思い出。
アンサンブルの演奏会の準備を一緒にした思い出。
演奏を聴きながら、それぞれの思い出を綴った文章を読んでいたので涙はほとんど乾く間がなかった。
当初はそれぞれの思い出を語ってから演奏をする、という流れで進行する予定だったとのことだが、それでは毎回演奏者が泣いてしまって進行に影響が出るということでテキスト化してくれたのだという。
それくらい濃厚な思い出が書き寄せられていた。
感動の演奏会はあっという間に幕を閉じた。
明るい時間ではあったが、高田馬場にある打ち上げ会場へ早めに移動することになった。
打ち上げに招いていただいたので妻の父・母と共に参加した。
妻の演奏会で会った際いつも挨拶をしていたが、しっかり腰を据えて話すのははじめてだったのでこの打ち上げも楽しみにしていた。
笑いあり涙あり。
思い出あり現況報告あり。
思い思いの話をした。
ギター仲間に映る妻。
両親に映る妻。
私に映る妻。
様々な面の妻を語った。
言葉数が少なくあまり自分から主張するタイプではなかったので、映り方もそれぞれ違っていて面白かった。
いろいろな場所でいろいろな人に愛されていたんだな。
改めてそう思った。
自分のことではないのになんだが誇らしさを覚えるくらいだった。
感謝の気持ちとまた演奏会をする際に誘ってほしい旨を伝え、一次会でお暇した。
両親と駅で別れ、飲みたりなさを胸に友人たちの集まるバーへ向かって終電まで酒を飲んだ。
今思うこと。
妻が亡くなって一年経った。
ただその事実がある。
21時過ぎ。
ちょうど一年前の今頃は、訪問診療の先生のところに泣き叫びながら電話を掛けていた頃だ。
時はただ淡々と過ぎていく。
それは残酷であり優しくもある。
成長と言われるとピンと来ないが、間違いなくこの一年で自分の人生・時間に向き合えるようになったという実感がある。
残された私は自分の人生に真摯に向き合うことで亡くなった妻から得たものを反映させていく。
妻のためではない。
私のためだ。
私だけのためだ。
このnoteもそう。
今取り組んでいるランニングも仕事もそう。
やりたいことをやっていく。
後悔ないように振り切る。
自分のために。
妻から学んだ。
口数の少ない妻の背中から学んだ。
狭くて薄い背中。
でもとんでもなく説得力のある背中。
いつもありがとう。
これからも自分のために強く生きていく。
何度でも繰り返す。
いつもありがとう。
これからも自分のために強く生きていく。