
2021年3月
2月からの延長された日々を過ごしていた。
自宅療養を主軸とし、両親の送迎で通院をする。
都度、必要があれば入院をする。
私は普段通り自宅で仕事をし、妻は出来る範囲の家事をする。
たまにお互いの友達とそれぞれ電話をして外との接点を保つ。
煮詰まらないように。
気持ちを前に向かせるために。
気付かないうちにそうしていたのだと思う。
ステージⅣの子宮体がんを患う妻とその夫は至って平熱で日々の生活を送っていた。
少なくとも、表面上はそうだった。
改めて受けた余命宣告。
残り半年から一年の命。
長いとか短いとかではなく、差し出されたその絶対的な時間を想う。
出来ることは限られている。
世の中的にも、妻の身体的にも。
後悔はなるべくしてほしくない。
しかし、幸せのようなものを押し付けるのはもっとごめんだ。
平熱の葛藤は心のなかで続いていた。
そんな中、妻の両親との会話しているときに「近くに温泉旅館ができた。」という話題になった。
妻の調子が良いタイミングで。
私が仕事を休みやすいタイミングで。
負担がないように近場の旅館で。
これらの条件が揃えば、ステージⅣでも。コロナ禍でも。
いつもと違う場所で夫婦で良い時間を過ごせるかもしれない。

妻はもともと土日の予定がパンパンで充足した日々を送っていた。
同棲・結婚して一緒に暮らしていてもなかなか丸一日予定が無い日が被ることはなかった。
長年通っていたクラシックギター教室の仲間と、スペインへギターを弾きに行くくらいアクティブな人間だった。
そんな彼女にとって自宅と病院との往復では、自身の身体の具合を考慮した上でも飽き飽きしている状態だったと思う。
タイミングが悪く新婚旅行も行くことが出来なかった。
チャンスを逃さないように、いい思い出を残そう。
いつ来るか分からない別れのとき。
普段は意識していないが無意識下でずっと頭の片隅に居座り続けていた。
一緒にごはんを食べたり、調子の良い日に家の近くを散歩する。
そういった日常の思い出はたくさん積み上げてきたが、思い出にもメリハリがあった方が尚良い。

抗がん剤治療の谷間等、様子を伺い先生にも相談することに家族で決めた。
少し先に楽しみな予定を作ること。
それ自体がひとつの立派な目的として機能していた。
人は見通しの立たないことに常に勇敢に立ち向かえるほど強くない。
妻の闘病を通して、場当たり的に過ごす人間の脆弱さと先回りして弱さをカバーする人間の強靭さを知った。
すべてのケースに当てはまるわけではないだろうが、弱さを受け入れてその上で戦っていくための武器を探して手に入れることが必要だった。
マイルストーンとセットでご褒美があってもいい。

数ヶ月先が見えない状態で、数カ月先のご近所旅行計画をふわふわと浮かべ、早く暖かくなるようにと毛布を被せて眠った。