
2021年1月末
手術を終えて少し経って妻からの返信がきた。
無事ICUから通常病棟にある病室へ移動が出来たようだ。
手術で開いたお腹が痛くて着替えられないから、着替えはあまり必要ない。
週末に帽子と肌着を持ってきてくれれば大丈夫。
そう伝えてくれた。
手術直後で傷口が痛む中、LINEはすぐに返してくれた。
退院予定日は月を跨いで2月6日となった。
それまではベッドの上で安静に過ごす。
体力はまた低下してしまうが、こればかりは仕方ない。
傷口が早く癒えること、摘出した子宮の検査が進み次の治療に繋がること。
私はそれを祈りながら、妻のいない部屋での生活を、ただただ黙々と淡々と、乱すことなく続けていくことだけを考えた。
それは何より、精神的支柱であるために。
必要なときに頼ってもらえるように。縋ってもらえるように。
これは私が妻に与えているばかりではなく、妻から頼りにされるという事象そのものによる私自身の存在価値を肯定をしてもらえていた。
与えることにより、直接的な還元ではないかもしれないが与えてもらっていた。
よく見返りを求めない愛というけれど、その裏では間接的にお互いの受給が成り立っているのではないかと思う。
わかりやすい見返りを求めていないだけで、心の大事なところで、気づいたときには得ているはずだ。
このあたりは雑記として後日残そうと思う。
それぞれの役割を全うするためにお互いを必要とすること。
それがお互いの支えになっていた。
夫婦ってこういうものだよな。
直接口には出していないが、そう思った。
退院までの日々は、淡々と過ぎていった。淡々と過ごしていった。
平日は仕事。妻の調子がいい日には電話をしたり、心が近い人にLINEで近況報告をしたり、スーパーでボーッと買い物をしたり。冷蔵庫内のストックの賞味期限を意識した生活は最低限続けられていた。(病院から帰ってきた妻にツッコまれないように。)
休日はランニング、事務的な手続きの準備等。時間の空いたときはよく二子玉川を散歩して過ごした。何も考えず店をぶらつくにはとてもいい街だ。
ランニングを続けられたのは精神的にも肉体的にも大きかったと思う。
もともと体力には自身がある方だったが、精神面の均整化と体力面のベースアップをする時間を習慣的に取るようになったことでやり切れたところは少なからずあると思っている。
苦しいときに無意識化でやりたかったことが顕在化してきたらそれは多少無理をしてでもやった方がいい。
そう感じる体験だった。

2021年2月上旬
術後の経過が順調だったため、一日前倒して2月5日に退院すること決まった。
退院までのLINEは、毎日“退院したら食べたいもの”の話題で持ちきりだった。
出掛けることは出来ないし、共有できる娯楽は食事と動画コンテンツくらいだった。
近隣店舗のオープン情報、テイクアウト情報をお互いに見つけて共有してその日の気分で選んで食べる。
それが今できるたのしみだった。

退院までになるべく多くの候補を並べておくことがそのままたのしみなことの積み上げに繋がった。
それらを繰り返し退院日を待った。
いつものように両親に送迎してもらい、妻が帰ってきた。
大切な日なのでこの日は有給を取得して万全な状態で妻を待った。
「おかえり。」
「ただいま。」
いつもの挨拶を噛み締めながら交わし、安静に大手術後の日々を過ごした。