指でなぞり、次につなげる

2021年1月後半

夫婦の絆を改めて深めながら日々を過ごしている中で、手術の日取りが決まった。

パジャマのほつれやボタンの結び目を指でなぞるように。
爪と甘皮の境目を探るように。
言葉数は多くなかったが、大事な時間を過ごせたと思う。

手術日が決まったので、改めて産婦人科の医師からの説明を受けることになった。
その日は私の都合もついたため、同席できることになった。

大きな病院の中でも、産婦人科の待合室は取り分け特異な雰囲気を放っていた。
病院の中で唯一、新たな命が産まれる場所。
お腹の膨らんだ女性が幸せそうに自分の番を待っていた。
小さな子どもを連れた第二子の誕生を控えている人もいた。

子どもの泣き声が聞こえるその環境は妻には酷だったと思う。
それらは私にも十分虚しく響いた。

予定より1時間半ほど過ぎてようやく呼ばれた。
その日は特別差し込みの対応が多かったのだという。

診察室は狭く、車椅子に乗った妻と両親、私が入るとパンパンになってしまった。

担当の医師は疲れが顔に出ており、老け込んで見えたが妻とは5歳ほどしか離れていなさそうな風貌だった。
凛々しい眉毛と長く生え揃った睫毛とその間から見える鋭い眼光が印象的で、切れ者に見えた。

手術を受ける上での説明と最終確認のために集まってもらったという。

改めての説明ではあるが、治療のための手術ではなく、あくまでも検査のための手術であるということ。
手術内容は開腹を伴う子宮摘出
手術予定時間は3時間ほどになり、長時間の対応が必要となる。
そのため、由理の体力勝負が余儀なくされる。
手術までに体調が悪化すれば手術自体が危険になるので、リスケ及び中止も考慮する。
万が一のことがあった場合は、手術中に亡くなる可能性もある。

だいぶ遠回しに伝えてくれたが、内容的にはこのようなものだった。
覚悟を決めていた由理は簡潔に「お願いします。」とだけ答えた。

自分だったらこう答えられるだろうか。
闘病を支える中でそう思うことが幾度となくあったが、このときの凛とした回答はまだ覚えている。

縋るわけでもなく、驕るわけでもない。
ただ目の前の事実を歪みなく受け取り、自分にできる判断をする。
その能力が妻は恐ろしいほど長けていた。
本当の意味での等身大の自分というもののハードルの高さ、困難さを私は妻から学んだ。

手術当日までは、なるべく体重を減らさないように意欲的に食事を摂った。
母の手料理、夫婦でのホットプレート料理、ケンタッキー、マクドナルド。
ジャンクフード好きな妻のリクエストに答えてたまにファストフード店でテイクアウトした。

幸いなことに食事制限は特になかったので、好きなものを食べられる分だけ食べることができた。
余命の中でいかに楽しむことが出来るか、という点も末期がん患者には大切だと医師から家族向けに伝えてもらっていたので負い目を感じることなくリクエストに答えることができた。

よく通った近所のラーメン屋でお土産ラーメンを買って家で食べた。

そうだよな、手術で亡くなるかもしれないんだから。

これは身体に障るから。なんて言っている場合ではなかった。

ひとつでも後悔の種を潰してあげたかった。

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2021年1月26日

手術当日。
妻はその数日前から入院のために検査入院をしていた。

検査入院に送り出すときはどうしようもなく悲しい気持ちになってしまったが、妻と医師を信じて心を強く持った。

検査入院前にリクエストされたビーフシチュー。妻の「行きたいお店リスト」にある店のメニューがローソンで商品化されたので仕事終わりにダッシュで買いに行った。

個室に入ることができたので、入院当日までは毎晩1時間ほどビデオ通話をして過ごした。

「こわい。」とは言っていたが、電話を切る頃には「がんばる!」と前向きな表情になっていたのが印象的だった。
ひとりじゃ乗り越えられないことに立ち向かっている。
でも自分で決断して進むしかない。

何故なら自分の身体に起きている事象に対する打ち手は検査手術しかないから。
子宮を摘出してがんの大元が見つかれば、そのがん細胞の検査をして先に進む。
子宮にがんの大元がなければ別の被疑箇所を改めて見つけてそこに対するアプローチを医師に考えてもらう。
そのためには子宮を摘出するしかない。

私にとってもこの電話は大事な時間になった。

12時頃からICUで手術は開始された。
11時に妻からICUにスマホを持ち込めないから連絡が遅くなるかも、と連絡があった。

仕事をするも、妻の手術の様子が気になってなかなか集中できなかった。
終了予定時刻である15時になっても医師からの連絡はこない。
不安になりながら自室でひとり、仕事をしていた。
16時頃にようやく病院から着信があった。

「遅くなりました。手術は無事完了しました。」

医師のその一言で肩の荷が降りた。

手術は予定より困難を極めたものになったという。
子宮を摘出しようとしたが、子宮の裏側と膀胱ががん細胞で癒着してしまっており、容易に摘出できない状態になってしまっていたのだという。
CTでは分からない箇所にがんが進行しており、まさに出たとこ勝負な一面があったのだという。

通常であれば一度手術を諦め、お腹を縫って元に戻すところだったが、妻の体力がまだ残っていたことや、心の固まり方が医師にもしっかり届いていたこと。そういった複合的な事象の結果、膀胱に癒着したがん細胞の撤去含めて一気貫通で手術をしてくれたという。

子宮を綺麗に摘出し、膀胱に転移したがん細胞も粗方取れたという。

完全に子宮がクロだということが手術中に分かっただけに、引き下がれないし、絶対に救いたいと思ってくれたという。
イレギュラーな中で手術を完遂してくれた医師に、鼻声で電話越しにお礼を伝えた。

「奥さんはまだ眠っていますが、起きたら褒めてあげてください。本当に頑張ってくれました。」
そう伝えられて涙を堪えられなくなってしまったのだ。

職場のメンバーに手術が成功した旨を伝え、ベランダで深呼吸して少し休憩した。

よかった。
本当によかった。

綱渡りの日々の中ではあったが、直接的な手術は初めてだったのでとても心配だった。
痩せ細った妻に大きな手術を受ける体力があるのか些か懐疑的な気持ちを抱くこともあった。
でも信じてよかった。
妻はやってのけた。
その小さい身体で。
自分の命のために。
自分の身体で起こっていることをたしかめるために。
それをたしかめてもらうために。

一歩踏み出してまた次に繋がる。

それを体現した妻に早くありがとうとおつかれさまを伝えたい。
そう思い、今は自分のできることをやろうと仕事に戻った。

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