
2020年12月後半
2020年が終わろうとしても治療は継続された。
呼吸器外科から産婦人科への交渉の無事を祈りつつ、妻の調子がいいときに食べたいものを食べられるように。
入院中はビデオ通話で顔が見られるように。
入院中、私のことを心配しないように。
自分自身が変に考え込まないように。
そんなことを意識しながらぐるぐる考えているうちにあっという間にクリスマスは訪れた。
両親が通院送迎の帰りに買ってきてくれたコンビニのケーキを二人で食べて、美味しいねと笑った。
当時の私たちにはこれだけで十分だった。
それだけで泣けるほど幸せだった。

とはいえ、何も考えずに過ごせていた時のことを考える時間は、それはそれで不意に訪れる。
去年は二子玉川でディナーをして、年始には妻と妻の両親とタイ旅行へ行った。
そんなことは遠い過去、いや、現実ではなかったかのように手から離れてしまっていた。
必死に手繰り寄せてみてもなんだか虚しくて少し心許ない気持ちにもなった。
年末年始を家で過ごすために、大きな検査もしてもらった。
その結果、脳の病変が大きくなってしまっていることがわかり12/24〜12/30までの間に5回放射線治療を実施してもらった。
その効果は年明けの検査で確認できるという。
年明けに控えた検査と産婦人科の医師との会話に意識をおいて年を越すことになった。
番外
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当時の写真を見返していたら、目に止まるスクリーンショットが2枚あった。
それは学生時代にお世話になったライブハウスの店長のブログ記事だった。
バンドマンとしてもライブハウススタッフとしても大変お世話になった店長のブログを2020/12/27の深夜0時に開いてスクリーンショットを撮っていたようだ。
その3週間前にいつにも増して素っ頓狂なイベントをやっていたので四谷にあるそのライブハウスへ久し振りに遊びに行っていた。
店には彼ひとり。
妻のがんが判明してすぐに現状を報告したかったけど、忙しい人だったのでLINEや電話をするのは憚られた。
そんな時に、報告するのにうってつけのイベントだった。
彼は何も遮らず私の言葉を聞いてくれた。
そしてシンプルな激励の言葉を手渡してくれた。
「お前なら大丈夫。」と。
大丈夫ではないことを大丈夫にしてきた人が渡してくれたこの言葉に大きく救われた。
命を救うことは私の範疇では難しいが、心は絶対に救う。そう思っていた。
自分が救われた分だけ上乗せして頑張ろうと、寄り道せず家に帰った。
(妻に所望されたケンタッキーは買ったけど。)

その時の余韻を思い出しながら、お守りのように撮ったこのスクリーンショット。
今読んでもやっぱり救われる。
年が明けて間もなく嵐のような出来事がありこのブログは閉鎖されてしまったが、この記事たちは私の中で今も光を放ち続けている。
あの時スクショしといてよかったなー。
どこかの誰かにとってのそんな記事がかける日が来るときまで。
やっていこう。


ありがとう、ぶんさん。