
2020年11月
最高の誕生日を過ごした妻は、そのあとすぐに体調を崩した。
誕生日に気張らせ過ぎてしまったせいかと妻の親友と共に責任を感じていたが、医師曰く症状的に抗がん剤の副作用によるものだった。
抗がん剤の副作用は、妻の場合は主に消化器へのダメージが大きかった。
腸が爛れてしまい、下痢が止まらなくなり、食欲が減り、体重が減るという負の連鎖に陥ってしまった。
がん患者にとって体重減少はシビアな問題だ。
妻はもともと痩せ型のため、特に致命的だった。
なぜ体重減少がシビアな問題かというと投与できる抗がん剤の量が減ってしまうためだ。
抗がん剤の投与量は患者の体重や身体の状態をもとに導き出されるという。
抗がん剤の投与量が減るとがん細胞の抑制効果も減ってしまう。
がん細胞の抑制効果が減ってしまうとがんの進行と抗がん剤の効果のバランスが崩れてしまう。
そう、がんに身体が蝕まれるスピード上昇に直接響いてしまうのだ。
その上、当時はがんの大元が分からず原発不明がん扱いだったため全身へ効果がある抗がん剤を使用していた。
ピンポイントでがんの勢いを抑えるわけではなく全身への全体攻撃をもってがんを抑えていた。
そのため、抗がん剤を使用する度に身体全体へダメージが与えられてしまい、医師からは抗がん剤治療によって却って死期を早めてしまう可能性もあるという説明も受けていた。
2020年8月の入院時よりは状況は改善されていたが、いつ副作用もしくはがんそのものによって新たな問題が発生するかわからない状態だった。
先の見えない苦しみ。
とはいえ立ち止まる訳にはいかない苦しみ。
抗がん剤治療を止めたらどうなるのか。
それは妻が一番理解していた。
そのため最小限の弱音しか吐かずに前を見て治療を続けていた。
しかし、食欲の低下は想像以上に妻を苦しめた。
身体の自由が利かない状態で妻の心を支えるものの一つに食事があった。
妻はもともと少食ではあるが、人一倍食事が好きでそれを楽しみにしていた。

納豆は消化が悪いというが、妻は意思を持ってそれを食べた。
こんなに美味しそうにご飯を食べる人を私は知らない。
人間が普段当たり前のようにしている食事という行為。
それさえも自由が利かない状態になってしまい、ぽろぽろと涙をこぼす場面も増えた。
二人で同じものを食べられない苦しみ。
嫌いなお粥を推奨される苦しみ。
食べてもすぐにお腹の調子が悪くなってトイレに駆け込む苦しみ。
抗がん剤の副作用で味覚にも影響があり、本来の味を感じられない苦しみ。
計り知れないストレスがそこにはあったのだと思う。
妻の性格上、気を遣い過ぎると却ってストレスになると思ったので私はなるべく普段通りの食事を心がけた。
態度だけではなく、「美味しく食べられるうちに食べたほうがいい。」なんて悟ったことを妻に言われたもした。どれだけ強いんだあなたは。
そんな気遣いを無下にするわけにもいかないので、自分の分はしっかり食べた。
食事を一緒に取ることも夫婦生活の醍醐味のひとつだったが、当時の食事はお互いに気疲れが出ていたのだと思う。
それからも入退院の日々が続いた。
病院の食事はやはり美味しくないようで、入院中は特に辛そうだった。
自分が食べられない反動からか、妻は大食い系YouTuberの動画を見続けていた。
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美味しそうに食べること。
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汚い食べ方をしないこと。
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食べているものが美味しそうであること。
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早食いをしないこと。
こだわりがあるらしく、上記の4点を満たすチャンネルしかお気に入り登録していなかった。
腸炎が回復してきた頃には妻は大食い系YouTuberに詳しくなっていた。
自分があまり食べられないから、美味しそうにたくさん食べる人の動画が見たかったのだという。
自暴自棄にならず、別の方法で食べることに対して向き合い始めた妻の強さや特性に驚いた。
一緒にYouTubeを観て楽しむという時間もできて、塞ぎ込みがちな生活の中でも共有して楽しめることが増えた。
苦しさは無視できない。
しかしすべてが黒く塗りつぶされたわけではない。
余白の部分を大事に、丁寧に、楽しむ、味わう。
苦しいけど。
妻の病気に対する向き合い方はそんな風に感じられた。
そのスタンスは私や家族から妻に対する接し方や支え方にも影響を与えてくれた。
この時期も大変ではあったが、たしかな幸せを感じていた。
人間って不思議だ。
苦しみと幸せは同居できるんだ。
身勝手かもしれないが確かにそう思った。
苦しくても幸せだった。
すべての運命を背負い今を生きる妻を支える。
それが私の生きがいだった。
二段階目の決心はこのときにしていた。