誕生日おめでとう

2020年10月

妻にはとりわけ仲の良い親友がいる。

中学時代からの付き合いで、ギターのレッスンやコンサート以外の用事を伝えられるときは大方その親友の名前を聞くことが多かった。

妻から直接病気の報告を最初にした先はその親友だった。
入院当初は腕を動かすのもやっとな状態だったので、代理で連絡しようか聞いても自分で連絡すると頑なに聞かなかった。

彼女は自分のことのように心配してくれ、私へも頻繁に連絡を入れてくれた。

面会はコロナ禍ということもあり家族でも一日に一人かつ短時間しか許されない状況だったが、差し入れだけでもといって本人に会えないことを承知で病院の前まで来てくれたこともあった。

たいへんな愛だ。
率直にそう思った。

「家族」という法的な括りに阻まれてしまったことを受けていろいろなことを考えた。

前述した通り妻と彼女は中学からの間柄であり、20年来のともだちだ。

妻と付き合い始める前から彼女の名前や人柄については聞いていた。
妻は自分の周りのことをなかなか話さない人だったが、彼女の話については意気揚々と話していた姿が印象的だった。

妻と付き合い始めて1年半ほど経った頃、妻と彼女が飲んでる最中に下北沢の飲み屋に呼び出されたことは記憶に新しい。

当時やっていたバンドのスタジオ練習を終えて家で寛ごうかと思ったら妻から電話が来た。
いきなり電話をかけてくるなんて珍しいなと思い、出てみるとまさかの呼び出しでいろいろ混乱。
しかもさっきまで下北沢にいたのに。ちょっと面倒だったけど行かないと更に面倒なことになりそうだったので行くことにした。

赤提灯が揺れる店先で店名を確認をして中に入ると、元気に酒を煽る彼女と微笑む妻の姿が見えた。
当時は二人とも喫煙者だったこともあり、灰皿は吸い殻で膨れていた。
二人で吸い過ぎでしょ…となんとなく呼び出しを受けるまでのヒートアップ具合を察しつつ席に着いた。

開口一番「早く同棲しろ!!」

そして終始それだった。
つかれた。

終盤、客もまばらになった頃には店員も参戦して店内は「同棲しろ!」ムード一色だった。
つかれた。

なぜ早く同棲しないのか、という詰め方をずっとされた。

  • 大学の奨学金を早く返済したいから出費を抑えたい

  • まだ一年半くらいしか付き合ってないからなんもわからん

  • 家庭がいろいろある

  • 二年付き合ってから考え始めたい

いろいろ理由を並べてみたが、自分でも御託並べてるだけのつまらない人間だなと思い始めた。

妻への愛を考えれば考えるほどそんなこと等は取るに足らないものであることを自覚させられた。

その日は彼女の語気は終始強く、なんらかのハラスメントかなと思ったが一枚フィルターを介して聞き入れてみると、なるほど妻への愛故のものだった。
幸せになってほしいというその気持ちの裏返し、いやそれがただストレートに出ただけのものだった。

そんな些細な飲みの席が後押しとなり、半年後には同棲を開始しその一年半後には結婚した。
推進力を与えてくれた彼女にもらった心底感謝している。

ーーここまでが昔話。

そんな大親友が妻の誕生日を祝ってくれた。全力で。

使えるコネを全て使ったという彼女は、もう一人親友を引き連れて誕生日当日に自宅まで来てくれた。

その時の写真をいくつか。

豪華なオードブルと特製ケーキ。免疫力低下で普段外食が出来ないからと豪勢なものを準備してくれた。ギターのケーキもわざわざ用意してくれた。二つともとても大きいし、このあと追加でオードブルが届いて腰抜けた。
家と病院のベッドに置いて!と2組の修造カレンダーをプレゼントされていた。感動して泣いてるところで笑顔が見られた。
ギターのケーキが一番嬉しそうだった。
医療用ウィッグもプレゼントしてもらった。せっかくだからと当日のうちに記念撮影。眼鏡もお出かけ用のものに掛け替えていた。元の髪型に近いと言って喜んでいた。

人は人の誕生日をこんなに祝えるのか。
感動した。
生きていてくれてありがとう。そんな気持ちがとても伝わってきた。

2020年8月には迎えられるとは思ってもいなかった34歳の誕生日は本人曰く人生最高の誕生日になったという。

私一人ではここまでの計画も準備もできなかったので本当に感謝している。

誕生日を迎える10日ほど前も抗がん剤の副作用で緊急入院をしていたが、死んでも誕生日は家で過ごす!と冗談にならないことを言っていた。
言霊とはよく言ったもので、実際誕生日の前々日には退院することが出来た。
妻と親友双方の努力が実って最高の誕生日パーティーが出来た。

この誕生日パーティーの数日後もまた入院してしまったが、2020年10月はこうして記憶に残る楽しい日を過ごすことが出来た。

こういった記憶に残る日は簡単には作れないし、ふと思い出すのは日常の風景だったりする。
しかし、来年は更に良い誕生日にしよう、とまたひとつマイルストーンを置けたことが何より大きなことだったと思う。

生きていれば楽しいことがある。
このタイミングでそう思わせてくれた妻の親友に最大限の感謝を込めて今回の記事の締めとしたい。

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