部屋のピース

2020年9月24日後半

妻が退院して家に帰ってきた。

どれほど待ち侘びたことか。

一人暮らし生活にも慣れ、スーパーでの買い物時にオーバーに購入してしまうことも無くなってきた頃だった。

辛いリハビリを乗り越え、遂に妻が帰ってきた。

なんとも言えないぽっかりと空いた隙間に妻が帰ってきて、ピースが埋まり部屋が完成したようだった。

辛い抗がん剤治療や、病気の今後の進行。
それらは一旦棚に上げて、久々に自宅で過ごす二人の時間を撫でるように過ごした。

退院したその日は午後から仕事に戻った。
会社のメンバーはzoom越しにおめでとうと声をかけてくれた。
浮き足立った気持ちと純粋な心配とで、定期的に妻の姿を確認しに寝室を覗きにいった。
その日の仕事は正直あまり進まなかったが、まあ当然のことだろう。

定時ごろに上がって焼きそばを作った。
妻へ退院前日に美味しそうだとLINEで送ったバター醤油焼きそば。
特別なものもいいけど、初日は家庭的なもので迎えたかった。
家に帰ってきたんだということを味わってもらうために。

前日妻に送った焼きそばのパッケージ写真。
当日作った焼きそばの写真。目玉焼きのリクエストは妻から。

入院中から先生には「なるべく本人が食べたいというものは食べさせてあげてください。」と伝えられていた。
なまものはなるべく避けてほしいが、これといった食事制限はないので食べてほしいと。
がんにより死期が迫っているが、食事云々の制限で後悔が残るくらいなら思い切って食べてほしいというように受け取った。
半人前も食べられずとも、食事の雰囲気だけでも楽しんでほしいのでそこは意識して過ごそうと心に決めた。
自分だったら何が食べたいかなあと気の抜けた思案に耽る瞬間もあった。

当時ハマっていたチャーシュー作り。オーケーストアはブロック肉が安い。

就寝時は今まで通り妻とよく話した。

自宅で過ごせる喜びを噛み締めていること。
医療機器に身体を繋がれることなく過ごせること。
お粥ではなくご飯を食べられること。
トイレの近くの病室で過ごした時に聞こえた嘔吐くおじさんの声がないこと。

小さな喜びを一つずつ並べていた。

数歩あるけば顔を見られること。
直接話せること。
病院へ定期的に持って行っていた少し時間の経ったスムージー。家では新鮮な状態で一緒に飲めること。
一人の時より正しい生活リズムで過ごせること。

私も負けじと応戦した。

Fishmansの98.12.28 男達の別れ Disc2 を聴きながらそのまま眠りに落ちた。

翌朝、目が覚めるとどうせ起きないのに早めにアラームをかける私を優しく眺める妻がベッドに居た。

たしかにそこに居た。
ただそれだけでうれしかった。

2020年9月下旬

妻の母が作ってくれた料理を食べて過ごした。
妻はリハビリがてら洗濯をしたり、ベッドの上で休んだりして過ごしていた。

通院もあったが家での生活を満喫できていたように見えた。

抗がん剤治療で薬を投与するのに時間がかかったり、投与後の数日は免疫力が低下してしまうことを鑑みてまた入院することになった。

事前にスケジューリングされた退院時期の見えている入院だったため、そこに憂いはなかった。

入退院時の対応は両親が手を挙げてくれたので甘えることにした。

しばしの別れを受け入れ妻を送り出した。

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