
2020年7月
二人での巣籠もり生活も板についてきた頃。
お腹の痛みはエスカレートしていった。
頻度・痛み両方のレベルが上がってしまったため、産婦人科から近所の大きい病院の紹介状を出してもらうことになった。
やっとか、という思いが強かったが、コロナ禍ということもあり大きい病院への紹介が滞るのも仕方ないことだった。
引き続き家にいながらにして仕事をできていたが、急な腹痛で布団に籠もる頻度が増えていった。
明らかにただ事ではない雰囲気を感じてはいたが、産婦人科では悪性の筋腫とは考えられないという見解が出ていることもあり、素人の変な想像を膨らませずに大きな病院での診断を待とうと、少し目を逸らしつつその場をやり過ごしていた。
仕事も一日通してはなかなか出来なくなり、急な半休も増えていった。
フリーランスという働き方をしていたこともあり、精神的な不安も大きくなっていたのだと思う。
7月の半ばくらいから咳が出始めた。
症状的にもCOVID-19感染の恐れがあるので、内科へもかかることに。
この頃の外出はといえば、産婦人科・スーパー・散歩くらいのものだったので「これで罹っていても仕方ないね」なんて話していた。
熱が出ているわけではなかったので、オンライン診療で薬を処方してもらうに留まった。
処方される薬も葛根湯くらい。
咳が出ていることもあり、この頃から産婦人科以外の外出はほとんどしなくなった。
薬局で咳き込んで白い目で見られることも神経をすり減らしてしまう要因になるし、それ以前に体力が落ちていたので私が代理で行くことにしていた。
近しい友人と日中に少し会う約束をしたりしていたが、妻の状況を鑑みてキャンセルした。
普段あまりキャンセルしないこともあり友人からは驚かれ、お大事にと声をかけてもらった。
この頃は私自身も精神的に不安定な状態に陥っていた。
コロナ禍で妻以外の人と会うことがなくなり、肝心の妻は正体不明の病気に侵されていて、且つ病院の対応に緊急性は感じられない。
日に日に酷くなる咳で夜も満足に眠れなくなっていた。
ただ一緒に居てあげることしかできなかったから、ただ一緒にいた。
救急車を呼ぼうかと言った日も何日かあったが、妻は嫌がったのでその気持ちを尊重して大きな病院で診察をしてもらえる月末をただただ待った。
お腹の痛みと咳の因果関係がわかったらいいねなんて話をしていた。
大きな病院での検査は月末の7月31日を予定していた。
妻の好きだったアボカド納豆そうめん
このときは半分も食べられなかった
大きな病院での検査を前日に控えた7月30日。
咳が止まらなくなり、喋ることもやっとの状態になってしまっていた。
ほぼ強制的に内科を予約してオフラインで診察をしてもらうことになった。
オンライン診察では何も解決しないタイプの病状であることは2,3回の診察で明確になっていたこともあり、内科の予約はスムーズに進んだ。
「聴診器を当ててもらえば絶対何か分かるよ!」「そうだね!」もうお互いほとんど空元気だった。
妻は午前休を取得して早速内科へ向かった。
私は気が気じゃなかったが、ここでも一人で来られる方の同伴はNGということで家で気を揉みながら仕事をしていた。
あんなに辛そうだったのに「帰りがけにドトールのミラノサンドセットを買っていくからどのセットにするか連絡してね」なんてLINEもしてくれていた。
しかしその日に妻が家に帰ることはなかった。
緊急入院が決まったためである。
オンライン会議を終えると妻と妻の母から大量に着信が入っていることに気付く。
その直後、救急隊の方から着信が。
「由理さんの旦那様の携帯電話でしょうか。肺が酷く汚れているため国立病院に搬送しています。今日は検査の後、入院することになるので着替えと日用品を持って病院にきてください。」
驚きと共に少し安堵したことを覚えている。
明らかに様子がおかしかったからだ。
家で普通に生活をしていい状態ではないことは分かりきっていた。
仕事はその場で切り上げさせてもらい、急いで荷造りをして自転車で病院に向かった。
真夏だったが電車から遠ざかった生活をしていたため、人混みを避けるために自転車を選択していた。
病院へは14時過ぎに着いた。
想像していたよりも大きく立派な病院にだった。
駐輪場から救急の窓口に行き妻の名前を伝えると、裏手にある救急入り口から薄暗い通路にあるベンチに通された。
間もなく看護師さんが来て、入院をするにあたってのカルテを渡された。
窓のない閉ざされた環境に居ることもあり、20枚ほどの書類を前に不安な気持ちが次第に膨れ上がっていった。
カルテを書き終え、手持ち無沙汰な時間を過ごしていた。スマホの電波が入りづらかったので、もしもの時にと携えていた文庫本を義務付けられた作業のように読んだ。
ログを遡ったところ、読んでいたのは村上春樹の『レキシントンの幽霊』だった。そんな最中に読んだこともあり当然内容は何一つ覚えていない。
途中で検査と検査の間に妻が目の前を通った。正確には由理が乗せられた車椅子が目の前を横切った。検査の疲れもありぐったりしていた。もともと白い肌が更に白く見えた。
こんな状況で「仕事は平気?」なんて聞くもんだから少し呆れてしまった。こんな状況で人の心配をするのは妻らしいというか。
検査は無事終わり、病室に入れることになった。
不足していた入院グッズを看護師さんに案内されながら院内のコンビニで補った。
COVID-19の影響もあり、院内は厳戒態勢で私は病室へは入れず看護師さんに荷物を受け渡して病院を後にした。
来た時はカンカン照りだった外は20:00を回りすっかり日が暮れていていた。5時間以上もあのベンチに座っていたとは自分の忍耐力はまあまあなもんだなと感心した。数時間ぶりに身体を動かせる喜びから、カチカチになった足を解すように自転車を勢いよく漕いで帰った。