一年と二ヶ月

皆さまへ

妻、由理は子宮体がん闘病の末、2021年9月26日に逝去しました。

お世話になった皆様へ、生前のご厚誼に深く感謝するとともに謹んでお知らせ致します。

突然の報告となり申し訳ありません。

一度にすべてを伝えることは困難なため、今回はがんに侵されてからの闘病の推移について時系列を追って書きます。

時系列

2020年3月

  • 腹部の痛みを訴え、産婦人科に通いはじめる。

  • 子宮に筋腫のようなものが見つかるが、悪性のものではないという診断を受ける。

2020年7月

  • 乾いた咳が止まらない状態になり、産婦人科とは別に内科のオンライン診療を複数回受けたものの、漢方を処方されるのみに留まる。

  • 下旬には息も絶え絶えになり、かかりつけ医の診療を受け即時入院が決まる。

2020年8月

  • 検査の結果、 肺の大部分ががん細胞に埋め尽くされていることが発覚する。

  • 肺以外に骨やリンパ節にも転移していることが確認できたが、大元となるがんがどこにあるかはわからないためステージⅣの原発不明がんという診断がつく。

  • 医師からはこのままの状態では長くて一週間だと伝えられる。

  • 早急な対応が必要なため入院後すぐに抗がん剤治療が開始される。

2020年9月

  • 抗がん剤の効果が出たため一時退院し、基本的に自宅療養の体制をとり、抗がん剤治療薬の投与タイミングのみ入院する方針に変更される。

2020年10月

  • 当初迎えられないと思っていた34歳の誕生日。当日は親友が大きなケーキとオードブルで祝ってくれる。

  • 抗がん剤による身体への負荷が重く、副作用による入退院を繰り返す。

2020年12月

  • がんが脳に転移していることが確認される。

  • 大きな転移ではなかったためレーザー治療によるがん細胞の縮小で凌ぐ。

2021年1月

  • 新年を自宅で迎える。

  • 抗がん剤の治療を終えて体力が回復してくる。

  • 子宮の奥にある影ががんの大元である可能性があるため、その検査のために子宮摘出手術を打診される。

  • 子宮摘出手術を受ける。

  • 手術は困難なものであったが無事成功し、検査の結果がんの大元が子宮にあることが確認される。

2021年2月

  • がん発覚から半年。検査の結果、子宮体がんという診断が正式に付く。

  • 子宮体がんであることが分かったため、別種の抗がん剤治療が可能になる。

  • 2種類目の抗がん剤治療が始まる。

2021年6月

  • 2種類目の抗がん剤効果が出て、外出許可が下りたので治療の合間を縫って近所の温泉旅館に宿泊。

2021年7月

  • 2種類目の抗がん剤治療が終わる。

2021年8月

  • 2種類目の抗がん剤治療の完了後、がんの進行スピードに勢いが出る。

  • 医師から、もって1,2ヶ月だと改めて余命宣告される。

  • 今後は治療の手段がなく、緩和ケアのみの対応となる。

  • 本人の意思を尊重し、病院には通わずに訪問診療による在宅療養に切り替える。

  • 毎日のように医師、看護師、薬剤師に訪問してもらう生活が始まる。

  • 余命宣告をきっかけに、本人から交友のあった人達に会いに来てもらうために連絡を取り始める。

  • 私の仕事部屋から寝室の様子が伺えないため、在宅療養がしやすそうな間取りの近所にあるマンションに引っ越す。

2021年9月

  • 毎週末に親交の深かった友人たちが会いに来てくれる。

  • 終末期鎮静の薬も使われ始めたが痛みを完全に取ることは難しく、痛く苦しい日々を過ごす。

  • 中旬からは妻の母も泊まりこみでサポートしてくれ、3人で過ごす。

2021年9月26日

  • 直近で予定していたすべての友人の訪問予定が完了した日曜日の夜。

  • 水を飲み込むことすら困難な状態になる。

  • 21:20に父、母、姉、私が見守る中で息を引き取る。

  • 当直の医師が駆けつけ21:48に死亡が確認される。

亡くなる2週間前の写真

今回は事実のみにフォーカスした時系列までに留めておきます。
治療はここに書いたものだけではなく、何度入退院を繰り返したかは追いきれません。
由理は本当に頑張りました。間違いなく生を全うしました。

こんな人が、こんな人生が、こういう生き様が、と何かしら皆様にひっかかるようなきっかけになれば幸いです。

一番近くにいた私が何かを伝えなくてはという思いがあるので、今後も無理のない範囲で更新していきます。

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